1、合同慰霊祭について(靖国問題にもふれて)
去る5月6日、2005年度合同慰霊祭が戦没者、戦災死没者、海外物故者、原爆死没者1880柱のご遺族、700名が参加されアミティホールで執り行われ、私も出席させていただきました。当局に伺いますと、昭和30年・1955年、満池谷に慰霊碑が建立されたのを期に西宮市が主催して「合同慰霊祭」を実施したのが始まりだということでした。私の義母も、空襲で背中に負ぶった子どもを爆撃で失っており、戦災死没者の遺族として毎年「慰霊祭」に出席していたのを覚えています。
ところで、当日はいくつか気になることがありました。一つは市長が主催者として読み上げた祭文の内容です。「・・・かえりみますれば、諸霊には 過ぐる大戦において、祖国の危急に際し、ひたすら、故国の興隆と同胞の安泰を念じつつ、尊い生命を祖国と民族のために捧げられました・・・」と冒頭に述べられたことです。
これは、侵略戦争を美化するとともに、国の公式見解となっている1995年8月15日、戦後50年にあたり、当時の村山首相が「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して、多大の損害と苦痛を与えました」と「痛切なる反省と心からのおわびの気持ち」を表明した、この立場とも、祭文の内容は相容れないものといわなければなりません。
日本共産党議員団はこのことを重く見て、公費によって開催されている「合同慰霊祭」が、戦争によって命を失ったすべての方々を追悼するとともに、平和を祈念して行われるべきものとして、市長の祭文は、その趣旨にふさわしい内容に改めるよう、6月8日、市長への申し入れを行ないました。
もう一つの問題は、ご遺族を代表し、今年は遺族会の方が追悼の言葉として「小泉首相には困難を打開して、靖国神社参拝をしてもらいたい」という趣旨を述べられたことです。
もちろん誰であれ、表現の自由は憲法で保障された基本的人権です。しかし、ときあたかも、小泉首相の靖国参拝問題が、国内だけではなく国際問題にまで発展している時期であり、さらに、「合同慰霊祭」という自治体の公費を使った公式行事の場での発言として「これは問題がある」と感じたのは私一人ではないと思います。いったい出席しておられたご遺族のどれほどの方が、首相の靖国参拝を望んでおられたというのでしょうか。
ここで、あらためて靖国神社とはどういう神社なのかみてみたいと思います。靖国神社は明治政府が1869年・明治2年、幕末・明治維新の殉難者や戊辰戦争の戦死者などを国家に殉じた忠臣、功臣として顕彰するため、創設したものです。終戦まで陸軍省、海軍省の共同管理化にあり、祭神の選定も両省が行なっていました。責任者である宮司も、陸軍最高位の軍人・陸軍大将があたっていたのです。敗戦により両省が廃止されてからは、厚生省が戦争による「公務死」と認定した者を、合祀することについては、宗教法人として靖国神社が決定権をもっていました。
靖国神社は自らの使命は、「英霊の武勲の顕彰」だと述べています。これは戦争で亡くなった方々を追悼することではなく、あの戦争を正当化する立場にたって、その戦争での武勲、つまり戦争行為そのものをたたえるということです。だから、日本には戦争犯罪などなかった、日本を侵略国と断罪した東京裁判の不当性を暴き、刑場の露と消えた戦犯の無念をふり返り、「形ばかりの裁判によって、一方的に‘戦争犯罪人‘という濡れ衣を着せられ、無残にも生命を絶たれた方」つまり、「昭和の殉難者」(やすくに大百科)だとして、14名のA級戦犯を含め1068人が「神」としてまつられています。しかし、度重なる空襲や原爆、沖縄戦で亡くなった一般の国民は、誰一人としてまつられていません。
6月6日放映の「たけしのテレビタックル」という番組で、出演者の福岡正行・白鴎大学教授が「靖国神社の中に遊就館というところがあります」として「あの戦争は正しかった、自存自衛の戦争だという世界でも有数の資料館です。戦争の資料館であって、決して不戦の資料館ではない」と発言していた通り、太平洋戦争を「大東亜戦争」とよび、日本が行なった戦争は正しかったとして、この靖国史観を広めるための施設が存在しているということです。靖国神社の宮司が、靖国神社公認の写真集「世界に開かれた昭和の戦争記念館」で、さきに述べた村山首相談話を「嘘と誤り」と攻撃していることも重大です。
ところで、私はこの質問を準備中、どうしても自分の目で、靖国神社というところを確認したい、とくに戦前・戦中、教育勅語とともに、日本軍国主義の精神的支柱の役割を果たしたといわれる、その事実を確かめたいと思い、23日に同僚の野口議員とともに行ってきました。
約4時間、よーく見学させてもらいましたが、神社そのものが「正しい戦争」論の最大の宣伝センターになっているという、この一言でした。
遊就館の展示や「私たちは忘れない」という50分の映画などを見た感想の第一は、明治維新以後、日本が起こした戦争は、すべて欧米列強がアジアの小国である日本を干渉したことに対し、やむにやまれぬ戦争だった。日本が戦争で勝って領土を拡大することは、国力の弱い欧米諸国の植民地になっているアジア諸国に、独立への希望を与えた「自存自衛」の正しい戦争だったということを主張する徹底した軍事博物館。したがって、日本が侵略したアジアの国々で、どれほど非道の限りを尽くし、2100万人といわれる人々の命を奪ったかという観点が見事に、全く触れられていない施設。
第二に、日本軍国主義の精神的支柱の役割という点では、戦死した方々が神になる儀式「招魂式」が、戦前・戦中に全国から何万人もの遺族を招待し、国を挙げてくり返し行なわれ、時の天皇が参拝した旨の展示があり、この模様はラジオで全国に実況中継されたということです。
1882年公布された「軍人勅諭」は「忠節の義務は山より重く、人の死は鳥の羽よりも軽い」として、天皇の為に命をささげよと説きましたが、その一方、その覚悟を貫いて、戦争で命を落とした者は、国の神として祀られることを制度化したのです。こうして靖国神社は、国民を戦場に動員する上で、またその家族を含めた国民全体の戦争への精神的“団結”をはかる上で、絶大な役割を果たしたということが実感されました。
第三に、ここには、過去の戦争に対する真摯な反省も、日本国憲法の不戦の誓いの立場もみじんもなく、むしろこの立場にたつ人々を攻撃しているということです。これでは、ドイツやイタリアがヨーロッパでやった戦争、日本がアジアでやった戦争は、いかなる大儀ももたない侵略戦争・不正不義の犯罪的な戦争だったとする世界の共通認識を否定するものであり、21世紀に日本が、国際社会の一員として生きていけないことは明らかです。
これまで申し上げてきたような戦争観、特定の政治目的をもった運動体である靖国神社への参拝を一国の総理大臣が行なうことに、いま、国内外から大きな批判と注目が集まっているのは当然です。日本共産党は、この間国会の質疑で、靖国神社の実態を明らかにするとともに、戦争の正当化にお墨付きを与え、政府の公式見解である「村山首相談話」そのものを自己否定することになると、小泉首相の靖国神社参拝の中止を、強く求めていることはいうまでもありません。
いま自民党内部からも、首相経験者を代表し、河野洋平衆院議長が小泉首相に靖国参拝について「慎重の上にも慎重に対応すべきだ」と異例の要請を行い、日本遺族会会長の古賀誠元幹事長が「立場のある人の発言は、近隣諸国への気配り、外国への思いやりが必要だ」という発言、を行なうに至っています。
海外でも靖国問題が大きくとりあげられ、6月22日付ニューヨークタイムズが「日本のために無罪判決を求める戦争神社」と、23日付のUSAトゥデーでも「東京の神社がアジア中の怒りの的」と報道し、「靖国史観は、ほとんどのアジア人、アメリカ人が受け入れることができない」と述べています。靖国問題をとりまく状況はまさに大きく変化してきているといわなければなりません。
付け加えていうなら、靖国神社の使命の二つ目に「近代史の真実を明らかにする」と書かれていますが、靖国史観と密接な関係のある「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書がまさしくそれを具体化していると思いました。遊就館ロビー奥に売店があり、扶桑社の関係書物や新しい歴史教科書をつくる会名誉会長の西尾幹二氏の「国民の歴史」など数多く並べられていたことも紹介しておきます。西宮での教科書採択にあたっては、侵略を正当化する教科書ではなく、憲法の平和条項や教育基本法に沿った教科書が採択されるよう、教育委員会の良識に期待をしておきたいと思います。
以上のことを踏まえて質問します。
- 公費を使い、市が主催する合同慰霊祭の市長の祭文、ならびに、遺族代表の追悼の言葉は、戦争によるすべての死没者への追悼と、憲法や国の公式見解に沿った内容に見直すべきと考えるが見解を。
- 靖国神社について、私はさきに述べた通り、特定の政治目的をもった運動体ととらえていますが、市長、ならびに教育長は、靖国神社の実態について、どのように認識されているか、お聞きしたい。
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