3月議会 たてがき初男議員の退任のあいさつ/* --項目挿入-- */?>
2007年03月20日
今期で議員を引退するにあたり発言の機会をいただきましたので、お世話になった多くの皆さんに御礼と感謝の気持ちを込めて、思うところを述べてみます。 私が今から20年前、市議会議員に立候補を決意し、市民の皆さんに3つの約束をしました。1つ、皆さんに西宮市政や市議会の動きをわかりやすく報告します。2つ、皆さんの市政に対するご要望や、要求をお聞きして、それらを市政に反映します。3つ、皆さんの暮らしや営業を圧迫する制度には体を張って阻止をします。これら3つのことは自分になりに一生懸命取り組んでまいりました。特に3つ目は小泉内閣の「構造改革」や西宮市の「行革」によって市民いじめの悪政がまかり通るなかで体を張りすぎて、ついに自分の健康を害してしまったとは冗談ですが、20年前にどんな話していたか、思い起こすと、「ボウフラの湧いている水は飲める」という話をしていました。もし、山で遭難して、溜まり水しかなかったとき、もしボウフラが湧いていたら飲んでも大丈夫ということです。何でかというとボウフラのようなか細い生き物が生きている水は大きな人間が飲んでも大事無いということで、世の中も弱い立場の人が住みやすいと、住民みんなが住みやすい。そんな政治を目指しますとよく言いました。しかし、真偽のほどはわかりません。ボウフラは水中にはいるけれども、水面に浮いてきて空気を吸っているわけだから、魚ほど水質には影響されにくいのではないかな?今思えばメダカにしとけばよかったかなと反省してます。ただしこの話は私の作り話ではなく山登りの好きな友人か、先輩かに中学生の頃聞いた話です。 それでは、20年たってボウフラやメダカが住みやすい世の中になったかというと、残念ながらそうはなっていません。自然環境もそうですが、特に規制緩和の名でモラルハザード、ルール破壊が進行し強いもの、大きいものが勝手になんでも出きるような社会となっているのは誠に残念です。人間が今日まで築きあげてきたのは、強いもののみに価値がある動物社会と違って、弱いものも一緒に助け合って生きていける社会、仕組みではないでしょうか。今の政治にこの観点をぜひ取り戻していただきたいと思います。 さて先日、金沢に住む学生時代からの友人から「お疲れさんでした!!昨晩、NHKのBS2で寅さんの映画を見ていて阪神大震災が写っていました。災害の大きさに改めて驚いています。議員期間中のご苦労に頭が下がります」との内容のeメールが届きました。やはり、この20年間一番記憶に強く残っているのは兵庫県南部地震です。このことを語りだしたらキリがありませんし、今日は一般質問ではありませんので、論争や追及は避けますが、やはり政治と政党、政治家のあり方が強く問われた大災害でした。震災復興のあり方をめぐっては、当時の担当者と何回も、何時間もかけて議論をしました。そして、本会議や常任委員会などで多くの時間を費やしています。そのお陰というか、ささやかな論文も2度にわたって書きました。 阪神淡路大震災の思い出は決してよいものではありませんが、その時に西宮市の議員として復旧、復興に精一杯頑張ったこと、また区画整理、再開発事業などまちづくり、まちのあり方など市民の皆さんと一緒に取り組み、勉強できたこと。本当に得がたい経験と思います。 また、議員でなければ、ここまで深く勉強することもなかったと思う、もう一つのことは、日本の近現代史です。アジア太平洋戦争で日本軍によって性奴隷とされたいわゆる「従軍慰安婦」や南京大虐殺の記述を教科書から削れとする請願が出され、1997年3月から2003年3月まで6年間議論をしました。歴史的には決着がついている問題なのに、安倍首相の「強制性を裏付ける証拠がなかった」発言に見られるように、同じ侵略する側に立ったドイツと比べ大きな違いがありますが、今後もこの問題については自分なりに勉強していこうと思っています。 思い返せばいろいろとつきませんが、今日まで議員を務めることができたのも、私を議会に送り出すために寝食を忘れてがんばっていただいた多くの皆さんや家族のおかげであり、議員になってからは市職員の皆さんや先輩議員諸氏に市政のことや議会のことを懇切丁寧に教えていただいた結果です。 この場をお借りして改めて御礼を申し上げて最後の挨拶といたします。本当にありがとうございました。 |