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「請願第18号」 学習指導要領に基づき、我が国の領土領海に関してより丁寧な指導が為されることを望む請願の反対討論
2012年09月18日

上田さち子が反対討論


ただいま上程中の、請願第18号「学習指導要領に基づき、我が国の領土領海に関してより丁寧な指導が為されることを望む請願」について、日本共産党西宮市会議員団は反対をします。討論は檀上にて行います。

本請願は社団法人西宮青年会議所から出されたもので、「我が国の領域をめぐる問題にも着目させるようにする」と学習指導要領に明記されているので、市内の市立小学校・中学校・高等学校において指導を強化し、児童や生徒の理解度を確認するなど学校教育における本件の取り扱いを具体的で丁寧にすること。また、近現代史教育(昭和史教育)の時間を充実させ、より丁寧に教えることを求めています。

冒頭、請願者から領土領海について「ニュースで報道がある」「正しい解決のために、国土の理解が必要」教育現場では「近現代史が端折られている」と陳述がありました。また、紹介議員は、具体的で丁寧にすることとなっているがとの質問に、「日本の領域について文科省が定める方向でやられているか」「いま起こっている事実にも着目させることとなっている」「相手国の主張も教えること」等答えられました。

私の方からは、請願者らが街頭で市内高校生へ行ったアンケート「領土・領域検定シート」で北端と西端と日本海、つまり、いま問題になっている北方4島と竹島と尖閣諸島のみがアンケートの対象となり、東端の南鳥島や南端の沖ノ鳥島が入っていない理由をお聞きしました。これには「特に意味はない」との答弁でありました。子どもたちに日本の国境線を教える必要性を言いながら、まさにいま問題となっていること国境線に限定しているところに、政治的意図を感じるものです。また、北端の国境は北海道の一部である歯舞島、色丹島、及び千島列島の一部である国後島や択捉島4島のみとしている点をお聞きしました。つまり歴史的経過からすると、シュムシュ島以南の全千島列島が日本の固有の領土であるが、その点はどうかと聞いたところ、「教科書に載っている国境線だから」ということでした。歴史的背景も丁寧に教えるべきだとした請願の趣旨からいえば、請願者自ら歴史的検証もされていないことに少々の驚きがありました。さらに、近現代史をより丁寧に教えることとしながら、昭和史に特化する意味も全く不明でした。

今回の請願が、愛国心を子どもたちに強要し、日の丸・君が代を教育現場に持ち込んで、一人一人に保障されている内心の自由を侵すとしている「新学習指導要領」に基づき・・・・とあることから容認できません。また、質疑の中で国境線についての認識で歴史的経過から正しくない事実を教えることにも問題があります。さらに、政治的意図をもって教育現場に介入すべきではないことからも、本請願には反対であります。


日本共産党はいま問題になっている領土問題では、すでに解を明らかにしています。
この際、少し時間をいただき紹介させていただきたいと思います。

まず尖閣諸島についてですが、どこの主権のもとにもなかった「無主の地」を、1884年(明治17年)に探検した古賀辰四郎が同島の貸与願いを申請し、その後1895年1月、閣議決定で尖閣諸島を日本領に編入しました。この措置が最初の領有行為で、領有の意思によって占有する、国際法で正当とされる「先占」を行い実行支配に入りました。その後、1919年には中国福建省の漁民が尖閣諸島の魚釣島付近で遭難し、同島に避難した31人を住民が救助し全員を中国に送還しました。これに対し、中華民国の長崎駐在領事から1920年5月20日に感謝状が届けられたことは広く知られています。中国や台湾が領有権の主張を始めたのは、1970年代に入ってからで、それまでの75年間はまったく異を唱えてこなかったのです。ちなみに1969年5月には、国連アジア極東経済委員会が発行した報告書で、尖閣諸島周辺の東シナ海から黄海にかけ、石油天然ガスの海底資源が豊かに存在する可能性を指摘しています。また、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったとの中国側の主張がありますが、日清講和条約(下関条約)で日本が不当に奪ったとされるのは、台湾及び澎湖列島のみであり、尖閣諸島は台湾の付属諸島ではないことも今日明らかになっています。以上のことから尖閣諸島は日本固有の領土であることは明白です。

竹島は、古くから日韓両方の文献に登場していますが、長くどこの国の領土としても確定されない無人島でした。1905年に日本が島根県に編入してからは、国際的にも日本領として扱われるようになりました。この編入は、竹島でアシカ猟に従事していた隠岐の島の中井養三郎が「領土編入ならびに貸下願」を提出したことを受けたものです。中井養三郎が竹島でアシカ猟に従事していたことを、国際法上の「先占」と確認し、有効なものであるとされ、竹島はそれ以来半世紀にわたり日本領とされ、どこからも異論が出たことはありません。以上のことからも竹島は日本の固有の領土であります。しかし、1952年に李承晩ラインで同島を一方的に囲い込み占拠したことから、韓国と竹島をめぐる紛争が始まり、1965年に日韓条約締結時に際しても、解決されずに今日に至っています。韓国は、1905年の日本の領有手続きそのものが無効だと主張しています。その理由は、この時期が日本による韓国の植民地化(韓国併合)の過程で行われ、韓国の外交権が行使できない立場にあったとしているのです。つまり、異を唱えることができなかったとしているのです。竹島問題を考えるとき、当時の日本が、韓国の外交権を奪っていたことは歴史の事実であり、内政干渉と侵略を合理化するような態度のままでは、公正な解決にはならないのではないかと思います。

千島問題では、政府の立場は北方4島をロシアから返還させるとしていますが、日本共産党は北海道の一部である歯舞・色丹島は直ちに返還させ、国後・択捉島を含む全千島列島すべての返還を求めるべきだという立場です。もともと千島列島全体は、1855年に江戸幕府と帝政ロシアで結んだ日魯通好条約と、1875年に明治政府と帝政ロシアで結んだ樺太・千島交換条約により、戦争ではなく平和的な交渉で日本領土に確定した歴史的事実があります。その後、第2次世界大戦後に全千島と北海道の一部である歯舞島・色丹島を不当に併合したのがソ連でした。ところが1951年に日本が各国と結んだサンフランシスコ平和条約で、日本政府が「千島列島を放棄する」という重大な表明を行いながら、1956年になって、「国後・択捉は千島列島に含まれない」との見解を出し、歯舞・色丹とあわせ、「北方領土」として返還を求め始めました。この立場は国際的には通用せず、日ロ間の交渉の行き詰まりの一因となっています。日ロの領土問題を考えるとき、第2次世界大戦末期の1945年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦の条件として、かつて平和的に樺太と交換した千島列島のソ連への引き渡しを求め、アメリカとイギリスが認めたことにはじまります。これは領土不拡大という第2次世界大戦の戦後処理の大原則に反する行為であります。日本政府はそのことを真正面から正すという大義を明確にする必要があるのです。サンフランシスコ平和条約にある千島放棄条項を絶対視せず、歴史的な根拠、国際的な道理を示して、堂々と全千島をロシアに求めるべきなのです。

以上、いま問題となっている領土問題についての日本共産党の見解を述べさせていただきました。「領土問題は存在しない」といって、正論を堂々と伝える外交努力を怠ってきた歴代政府の責任が、いま問われています。

いま、中国各地で日本人に対する暴力行為や威嚇、日本関連企業や建物への破壊活動が行われていると報道されています。しかし、いかなる理由であっても批判や抗議の意思を暴力で表すことは、どんな場合であれ絶対にあってはなりません。日中両国政府は、国民が冷静な行動をとるよう最大限の努力をはらう責任があります。日本のマスコミではほとんど取り上げられませんが、中国国内の新聞報道やネットの状況ですが、人民日報17日付は「同胞の財産を傷つけ、中国に住む日本人にあたり散らすことは適切ではない」ネットでは「暴徒化は、真の愛国ではなく、非愛国的表現だ。中国社会に動揺をもたらす」「われわれは冷静になるだけでなく、暴力の扇動を制止する勇気をもつ必要がある」など伝えている。
最後に、両国間の過激な行動を招くことなく、いずれの問題でも、相手国に歴史的根拠を明確にすることとともに、日本軍国主義が過去に行なった行為を真摯に反省する立場を伝えながら、総力を挙げて領土問題の解決に向け、外交努力を行うよう強く求め討論を終わります。