杉山たかのりの一般質問/* --項目挿入-- */?>
2014年09月08日
UR借り上げ市営住宅問題について来年1月17日には阪神淡路大震災から満20年を迎えます。 20年間というURからの借上げ市営住宅の借り上げ期間も、満了日がいよいよ迫っています。西宮市の住宅部は、庁内連携会議、アドバイザー会議をこの間、設置するなど、していますが、借り上げ住宅5棟447戸を全てURに返還し、入居者全員を他の市営住宅などに移転させるもので、なんら基本方針はかわるものではありません。これは、何度も指摘してきましたが、阪神淡路大震災で借り上げ住宅を整備した自治体では、唯一全員移転という最も過酷な方針を入居者に迫り続けているのです。 青木町にあるシティハイツ西宮北口は、県下で一番早く満了日を迎えます。2015年9月30日、わずか1年後です。124戸のうち8月末現在で32世帯となっています。 6月に行われた住み替えあっせん募集では、5団地を対象に、募集戸数53に対して、応募は16世帯、当選は13世帯、辞退が4世帯、住み替え決定は9世帯。うち、シティハイツ西宮北口は、5世帯。応募される世帯は少なく、住み替えが決定後も、取りやめがあるなど、市の思惑とは違って、住み替えは進んでいません。転居が困難な入居者に対しても、市による執拗な住み替えあっせん、事実上の追い出しがかけられています。現方針が、有効な解決策とはなっておらず、逆に入居者を苦しめている事に、怒りを覚えます。 なぜこのような事態になったのか。経緯から考えてみました。 少しさかのぼって調べてみますと、2002年の9月議会に政新会の石野明芳議員が一般質問で取り上げています。12年前です。「公団借り上げ住宅についてお尋ねをいたします。都市基盤整備公団から借り上げていますので、当然契約終了時期を迎えます。入居者にとっては大きな関心事でございます。市は契約終了時にどのような対応をされるのか、お考えをお聞かせください。」非常にシンプルな質問です。 当時の中島都市局長は、「現在、都市基盤整備公団と5団地、447戸について住宅等賃貸借契約をいたしております。契約期間はいずれも管理開始から20年で、一番早く借り上げ期間が満了となるのは平成27年9月でございます。入居者には20年後に明け渡しとなる場合がある旨お知らせいたしております。」 「借り上げ期間満了後の措置につきましては、一つに契約期間を延長する、二つに、入居者に他の公営住宅への入居をあっせんする、その他、公団より借り上げ住宅を市が買い取るなど、いろいろな対応方法が考えられます。」「どの手法で対応するのかは今後検討していくこととなりますが、いずれにいたしましても、入居者の居住の安定を図ることが最優先とされますので、借り上げ期間満了前には入居者が安心して住まいを確保できような条件を整備してまいります。」 借り上げ期間を知らせているというのは認識の誤りですが、「入居者の居住の安定を図ることが最優先」「入居者が安心して住まいを確保できるような条件を整備」すると、答弁していました。 この答弁に西宮市が責任をもっていたのなら、この答弁からでも12年間もあったのですから、447世帯という、かなりの世帯の人たちの行き場所をどうするのか、URから買い上げるのか、借り上げを延長するのか、新たな住宅を建て転居先を整備するのか、十分に検討し、対策を取ることが出来たでしょう。 ところが、市住宅部が借上げ住宅を公募停止したのが2011年1月1日、翌年2月から5月にかけて入居者説明会を開いて現在の方針を説明し、全市の市営住宅の空き家になったところから順次に転居させるという、事実上なにも対策を取らずにすませる道を採用したのです。つまり、対策を怠った歴代市長、この中には選挙前には購入するための交渉をするかのように言いながら、たった1回30分程度の話し合いで早々に交渉を断念した今村市長も含めた歴代市長の無策のツケを、いま入居者がはらわされているのです。少なくとも兵庫県や神戸市は、一部ではありますが、「継続入居」という方針でそのツケを少しでも減らしています。UR借り上げ住宅に関しては、無為無策な市長が歴代続いているために、この悲劇が生まれたといえるでしょう。 今、西宮市がやるべきことは、自らの無為無策を認め、全力をあげて「継続入居」の方針をたて、入居者が安心して暮らせるようにすることです。 質問
壇上からの質問は以上で終わります。答弁により、(対面式)質問席から再質問、意見、要望を行います。ご清聴、ありがとうございました。 |