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野口あけみの一般質問
2014年12月04日

河野談話をめぐって、女性の人権と歴史教育について


 2015年、来年は第2次世界大戦の終結70周年です。あの戦争はどのようなものであったのかが改めて問われます。特に、昨今、話題に上ることの多い日本軍「慰安婦」問題は、重大な女性の人権侵害であり、戦争への認識、歴史認識が問われている問題でもあり、そのような観点から一般質問します。
 
 今年8月、朝日新聞が、朝鮮半島で「慰安婦」狩りをしたとする「吉田清治証言」を虚偽として記事を取り消したことをきっかけに、一部の右派メディアや、過去の侵略戦争を肯定・美化するいわゆる「靖国派」国会議員、安倍首相まで、日本軍「慰安婦」問題を否定し、攻撃する動きが出ています。
 首相が10月3日の衆議院予算委員会で「日本が国ぐるみで性奴隷にしたとのいわれなき中傷が今世界で行われている」と発言しているように、慰安婦問題否定派は、朝日新聞の「吉田証言」記事取り消しを利用して、あたかも軍や日本政府に責任がなかった、慰安婦問題そのものまでなかったかのように印象づけようとし、その攻撃の矛先は、「慰安婦」問題で日本軍の関与と強制性を認め、謝罪を表明した1993年の河野洋平官房長官談話(以下、河野談話)に向けられています。
 しかし、「吉田証言が崩れたので河野談話の根拠は崩れた」という主張は、すでに、「河野談話」は「吉田証言」を根拠にしていないという、安倍首相自身が国会答弁で認めている事実でもって論破されています。「慰安婦」問題否定派の「河野談話取り消し」要求は今に始まったことでなく、執拗に繰り返されていますが、それにもかかわらず、また、安倍首相自身の本音にもかかわらず、日本政府の公式見解は、今も「河野談話の継承」というものです。
 
 まず、河野談話についてみてみたいと思います。お手元に資料として「河野談話」の全文をお配りしています。
 河野談話が認定した事実は次の5点です。談話の2段落目および、3段落目です。
 第1は、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。第2に、慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。第3に、慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった。第4に、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。第5に、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 これらの5つの諸事実の認定の上に立って、「河野談話」は、「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と表明。さらに、「我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と述べています。

 「河野談話」否定派が否定しようとしているのは、もっぱら第3の事実です。首に縄をつけて引っ張ってくるような「強制連行」はなかった、という点にしぼられています。その他の事実に対して、否定派は口を閉ざし語ろうとしていませんが、女性たちがどんな形で慰安所に来ていても、仮に本人の意思で来たにせよ、強制で連れてこられたにせよ、そのおかれていた状態が「軍性奴隷制」として、世界から厳しく批判されている日本軍「慰安婦」制度の最大の問題点です。
 私は、2006年夏、娘や同僚の上田議員、友人らと、韓国の元従軍慰安婦のハルモニたちが共同生活を送っているナヌムの家をたずね、そこでお話を聞くとともに、併設されている記念館や当時の慰安所を再現している展示等を見てきました。3畳ほどの掘立小屋に、簡易な木のベッドがすえられ、薄い毛布が1枚。足元に水を張った洗面器と避妊具が置かれていました。兵の相手をしたのち、その洗面器の水で局部をぬぐい、また、次の相手をさせられる。一日に何人もの相手をさせられ、従わなければ殴られたり刀で脅されたり、アヘン中毒にさせられるといった例もあったとのことです。小屋にはアキコやトシコといった日本人の名前の札がかけられていました。韓国人や朝鮮人でも日本名をつけられていたのです。
 ひとたび日本軍慰安所に入れば監禁拘束され、強制使役の下におかれた、― 自由のない生活を強いられ、強制的に兵の性の相手をさせられた ― 軍が転戦することになれば慰安所もろとも同行するような状況 ― これこそ「性奴隷制」そのものであり、そこでの生活は、河野談話が認めているとおり、強制的な状況の下での、痛ましいものだったのです。

 次に、この「河野談話」がどのような経過で1993年に発せられたか、について述べたいと思います。
 日本軍慰安婦問題が重大な政治外交問題となったのは1990年、韓国の盧泰愚(ノテウ)大統領の来日を前に、韓国の女性団体が「日本当局の謝罪と補償」を求める共同声明を発表したことに対し、日本政府が直後に国会で軍の関与を否定し、実態調査も拒否したことからです。
 そして1991年8月、韓国のキムハクスンさんが、日本政府が慰安婦の存在を認めないことに怒り、元「慰安婦」として初めて実名で証言し、同年12月キムさんを含む韓国の元「慰安婦」3人(後に9人)が、「組織的、強制的に故郷から引きはがされ、逃げることのできない戦場で、日本兵の相手をさせられた」として、日本政府を相手取って補償要求訴訟を提起したのです。
 1945年の終戦から46年目の実名での証言です。それまで被害を受けた女性たちは「自分は汚れた女だ」という自己否定や、親族にさえ知られたくないとの思い、周囲からの蔑視などなどのなかで沈黙を強いられてきました。「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンターという慰安婦問題に長らくかかわってきた市民団体の共同代表の西野留美子さんは、金さんらの告発について、「自己否定から、自分は『慰安婦』制度の被害者なんだと思えるようになるまでに半世紀の時が必要だった」と語っておられます。 
 同じ女性として、仮に自分がその立場だったらと考えたとき、また、現在でもレイプ被害者の多くが、自分が悪いと自分を責め、周りに打ち明けることもできず、苦しみ、告発せずに泣き寝入りしている実態からも、キムハクスンさんらの実名での証言、訴訟提起がいかに勇気と覚悟を持った行動であるか、と痛切に思います。慰安婦問題の根幹は、女性の人権が重大に侵害されたということです。

 こうした事態を受け、日本政府は、ようやく重い腰を上げ、1991年12月から日本軍慰安婦問題について本格的な調査に乗り出します。翌1992年7月に日本政府は調査の結果として、「慰安所の設置や、経営・監督」等に政府(軍)の関与を認め、慰安婦の生活が自由のない強制的なものであったことも認め、お詫びもしましたが、慰安婦とされる過程での強制性については資料がないとしたため、「日本政府が強制連行は否定」したと報道され、調査が不十分との国内外からの強い批判が寄せられます。
 そして、慰安婦とされる過程での強制性、すなわち「本人の意思に反して慰安婦とされた」かどうかの資料、公文書を見つけることが大きな焦点となる再調査が行われますが、結局、この当時は日本側の公文書のなかにそうした文書は見つかりませんでした。
しかし、強制的に慰安婦とされたことを立証する日本側の公文書が見つからなかったことは不自然なことではありません。当時の日本の刑法や日本が加入していた国際法は、拉致や誘拐などの行為は犯罪行為として禁止していました。未成年者を「慰安婦」にしたり、「慰安婦」にするためにだましたり誘拐したり、人身売買で国外移送するなどの明々白々な犯罪行為を指示する公文書など作成するはずもなく、仮にそれを示唆する文書があったとしても、敗戦時に他の戦争犯罪につながる資料と共に処分されたことが容易に推測されます。日本側の公文書がなかったからといって、強制的につれてこられたことを否定することにはならないのです。なお、日本側の公文書はみつからなくても、この時点で、強制連行を示す外国側の公文書は存在し、少なくとも2つの公文書について法務省が、河野談話とりまとめにあたって、文書報告しています。
 ともあれ、日本側の公文書が見つからなかったことを受け、当時の日本政府は、「慰安婦」とされた過程に強制性があったかどうかの最終判断を下すため、政府として直接に元「慰安婦」からの聞き取り調査を行いました。
 聞き取り調査の報告を受け、談話の取りまとめをした当時の河野洋平官房長官、石原信雄官房副長官がそれぞれ次のように述べています。河野氏は、「話を聞いてみると、それはもう明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信ぴょう性がある、信頼するに十分足りるという風に、いろんな角度から見てもそう言えるということが分かって来ました」と述べています。石原氏は、「その報告の内容から、明らかに本人の意に反して連れて行かれた人、だまされた人、普通の女子労働者として募集があって行ったところが慰安所に連れて行かれたという人、それから嫌だったんだが、朝鮮総督府の巡査が来て、どうしても何人か出してくれと割り当てがあったので、そういう脅しとか、圧力があって、断れなかったという人がいた。― 略 ― 総理も官房長官も一緒にその話を聞いたんです。実際に慰安婦とされた人たち16人のヒアリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦とされたことに間違いないということになりましたので、そういうことを念頭に置いて、あの『河野談話』になったわけです」
 聞き取り調査について、「裏付け調査をしていないから信憑性に疑いがある」などという攻撃もありますが、これに対しても河野氏は、こう述べています。「半世紀以上も前の話だから、その場所とか、状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからと言って、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語りえない経験だとわかる」。
 そもそも、この元「慰安婦」に対する聞き取り調査の目的は、日本軍慰安婦制度において、女性たちが慰安婦とされた過程に強制性があったか否かを究明することにありました。それは刑事裁判における証言のように、個別具体的な犯罪行為を特定して裁くことを目的としたものでも、民事裁判における証言のように、個々の被害事実を認定して賠償させることを目的とするものでもありません。

 こうして、談話では、朝鮮半島では「慰安婦の募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」(第5の事実)と明記され、他の証言記録や資料も参照した上で「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあった」(第3の事実)ことが明記されたのです。
 このように、総じて本人たちの意思に反して行われた、=「慰安婦」とされる過程でも、本人たちの意思に反した強制性があったことを認めるにいたったのです。
 河野談話の作成はもちろん河野氏個人によるものでなく、当時の総理大臣、官房長官、官房副長官、外務省、厚生省、労働省など関係省庁などが集団的に検討・推敲し、内閣の責任で行ったものであることも、河野・石原両氏が証言していることです。

 1993年河野談話が発せられ、以来、否定派の様々な攻撃があるなかでも、政府の公式見解として今日に至っています。その背景には、河野談話発表後の20年間にも、談話の真実性を裏付ける無数の証拠が次々と明らかにされていることがあります。その証拠とは、被害者の証言、加害者側の証言・記録、内外の公文書など、様々な形で明らかにされていますが、中でも、加害国である日本の司法による事実認定は極めて重い意味を持っています。
 各国の元「慰安婦」が、日本政府を相手取って謝罪と賠償を求めた裁判が10件あります。キムハクスンさんらの1991年の提訴から2001年の提訴まで、合わせて93人の方々からの訴えです。これら裁判の結論は、いずれも原告の損害賠償請求を認めるものにはなりませんでしたが、10件の裁判のうち8件の裁判判決では、元「慰安婦」たちの被害の実態を詳しく事実認定しています。加害国である日本の裁判所が、「慰安所」への旧日本軍の関与、慰安婦とされる過程における強制性、慰安所における強制使役などを、ここでは全面的に厳格な証拠調べ、裏付け調査を行った結果として、1人1人について詳細に事実認定をしているのです。
 内容の詳細についてはここではふれませんが、日本の司法による判決は、個々の被害事実を認定したうえで、こうした強制が国家的犯罪として断罪されるべき反人道的行為であることを、告発しています。一つだけ紹介します。1998年4月27日の釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟の、山口地裁下関支部判決です。「甘言、強圧等により本人の意思に反して慰安所に連行し、さらに、旧軍隊の慰安所に対する直接的、間接的関与の下、政策的、制度的に旧軍人との性交を強要したものであるから、これが20世紀半ばの文明的水準に照らしても、極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、少なくとも一流国を標榜する帝国日本がその国家行為において加担すべきものではなかった」「従軍慰安婦制度がいわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であって、これにより慰安婦とされた多くの女性の被った被害を放置することもまた新たに重大な人権侵害を引き起こす」
 日本軍慰安婦に関する事実関係について、すなわち河野談話の真実性、正当性は日本の司法が認定を下し、司法の分野では決着がついています。

 さて、日本の政治の分野での「河野談話」の扱いはどうでしょうか。1993年8月4日の河野談話と、日本の行った戦争は侵略戦争だったという認識を示した同年8月23日の細川首相の会見をきっかけに、自民党の中に、これに危機感を持った、日本の戦争は正義の戦争だったと主張する異質な流れがあらわれます。自民党は、同年同月、「歴史・検討委員会」を設置、これに当選したばかりの安倍晋三氏も参加しています。同委員会が95年8月に出した『大東亜戦争の総括』は、「大東亜戦争」(政府・軍部による当時の戦争の呼称)は自存・自衛のアジア解放戦争だと美化し、南京大虐殺や慰安婦問題はでっち上げだと攻撃しました。97年度版のすべての中学歴史教科書に「慰安婦」問題が記述されるようになりましたが、96年には「新しい歴史教科書をつくる会」が発足し、これを敵視します。そして、97年にはこの運動を応援する「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」がつくられ、当選4年目の安倍晋三氏が事務局長につきました。
 この西宮市議会でも、1996年12月議会で中川経夫議員が一般質問で、中学歴史教科書の慰安婦問題の記述について、偏向している、強制連行はなかった、業者との契約に基づく公娼だったと取り上げたことを皮切りに、翌年3月議会ではわが党上田議員が歴史の事実をゆがめるなと質問するなど、たびたび議論になりました。また、1997年3月議会以来、教科書への記述をめぐる賛否両論の請願がそれぞれ継続審査となって、毎議会議論され、1999年任期満了に伴い審議未了となっています。また1999年6月議会からは、今度は、南京事件についての教科書記述を訂正するよう求める請願が提出され、任期満了までの4年間、これも毎議会、議論されました。

 その後、教科書会社や執筆者への猛烈な介入と攻撃で、今では中学歴史教科書から「慰安婦」の記述が消えましたが、だからと言って事実や真実は曲げようがなく、歴史は偽造されるべきではありません。
 2012年に第2次安倍政権が誕生して「河野談話」否定派は勢いづきます。今年2月20日には衆議院予算委員会で日本維新の会(当時)の議員が「河野談話」見直しを求める質問を行い、同月2月28日には、政府として「河野談話検証チーム」を発足させて作成過程を検討する事態にまでなりました。6月20日、「河野談話検証チーム」が検証結果を報告しますが、これを受け政府は「河野談話の継承」を表明せざるをえませんでした。河野談話否定派がどんなに事実を捻じ曲げようとしても、加害国日本の司法によって認定された事実の重みを否定することはできないのです。
 そこに8月の朝日新聞の「吉田証言」の取り消しです。さらに巻き返しの大キャンペーンを開始しましたが、特に国際社会の反応は冷静なものです。英誌「エコノミスト」8月30日号では「朝日は済州島の件で間違ったのだろうが、戦時中、女性たちに売春を強制した日本の責任は疑いない」、同じく英紙のフィナンシャル・タイムス(8月15日付電子版)では「日本の保守派の一部は、兵士や当局者が直接女性たちを力で狩り集めたかどうかの問題に焦点を当て、そうでなかったなら日本には責任がないと主張している。しかし、これは醜い言い訳だ」という慶応大の小熊英二氏のコメントを紹介しています。そもそも国際社会が問題にしているのは、日本軍慰安婦の最大の問題=女性の人権を無視し、じゅうりんした「慰安所」における強制使役=性奴隷制度にほかなりません。
 慰安婦とされた過程における強制性、しかも強制連行だけに矮小化する「河野談話」否定派の議論は、国際的にも通用するものではありません。もちろん国内でも、「河野談話」の継承を言いながら、河野談話攻撃に一切の反論をしない、しないどころかむしろ同調する態度をとる安倍政権や、大手メディアに、深い憂慮を抱く人は少なくありません。

 日本共産党は、安倍政権が「河野談話」否定論見直し論に毅然とした態度を取らず、それに迎合する態度をとり続けるならば、人権と人間の尊厳をめぐっての日本政府の国際的信頼は大きく損なわれると考えます。都合の悪い歴史を隠蔽し、改ざんすることは最も恥ずべきことです。その立場から、3月14日、慰安婦問題についての志位和夫委員長の見解=「歴史の偽造は許されない 『河野談話』と日本軍『慰安婦』問題の真実」を発表しました。事実関係を丹念に調べ、積み上げたものです。(議場におられる皆様には以前お配りさせていただきました。ぜひお読みいただきたいと思います。
 そして、なぜこうも繰り返し河野談話を否定しようとするのか、日本軍慰安婦問題が政治問題となるのか。本来は、先ほども申し上げた通り人道問題、女性の人権問題です。
 そこにはかつての日本の戦争を「自存自衛の戦争だった」「アジア解放の戦争だった」とし、誤った戦争としたくない安倍首相を先頭とするごく一部の勢力の強い衝動が働いていることが明らかです。慰安婦問題は日本軍国主義が犯した戦争犯罪、植民地犯罪の中でも「靖国」派が最も認めたくないもののひとつ、なんとしてもこれを「なかったことにしたい」という強い思いに突き動かされているのではないでしょうか。しかし、どんなに否定しようとしてもこれは動かすことのできない事実です。
 来年終結70周年を迎える第二次世界大戦は、日本・ドイツ・イタリアの領土拡張を狙う侵略国に対する連合諸国や民族解放の立場に立つ諸国人民の戦いであり、ファシズムを反ファシズムが打ち破り、戦後世界の平和秩序に道を開いたものです。日本軍慰安婦問題にきちんとした姿勢がとれなければ侵略戦争や植民地支配に対する本当の反省をしたとはいえない、戦後の国際社会の出発点にも立てていないということではないでしょうか。日本軍慰安婦問題は、侵略戦争や植民地支配への反省の重大な試金石ともなっています。

 具体的な質問です。
  1. 1998年、女性に対する組織的な性暴力を時効の許されない「人道に対する罪」に位置づけた国際刑事裁判所の「規程」採択など、女性に対する国際的人権保障は大きく発展しています。
     河野談話にある第1の事実、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。第4の事実、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。このことだけをもってしても、先に述べた国際的潮流の中で、批判の対象となるのは当然です。そして、日本政府には、国際的な批判にこたえ、謝罪反省し、それにふさわしい行動をとる国際的な責務があると考えるものであります。
     そこで市当局に対する質問ですが、日本軍「慰安婦」に対する国際的な批判についてどのように考えるか、お伺いします。

  2. 先にも申し上げた通り中学歴史教科書から慰安婦の記述は消えましたが、日本のかつての戦争や第2次世界大戦についてはどのように教えているのでしょうか。