まつお正秀の一般質問/* --項目挿入-- */?>
2016年12月08日
平和行政について二つ目のテーマは平和行政についてです。 私は西宮市のコミュニティ放送さくらFMが終戦70年の昨年、スペシャル番組として二回放送した、「福山雅治〜被爆クスノキからのメッセージ」という平和を題材にした番組が、放送文化基金ラジオ番組部門で奨励賞を受け、受賞を記念してこの7月に再放送されるという新聞記事を見ました。この番組をCDでいただいて内容を聞く中で、西宮も原爆投下と無縁ではなかったことを知り、改めて西宮市から平和や核兵器廃絶の取り組みを強めていかなければいけないと思いました。 少しこの番組の内容を紹介しますが、冒頭にシンガーソングライターの福山雅治さんが創られたクスノキというが歌が流れます。福山さんは長崎出身で被爆者のお父さんを持つ被爆二世です。長崎には原爆の熱線で黒焦げに焼かれながらも生き残っているクスノキの木があり、福山さんは被爆二世である自分がこのクスノキのことを歌にしなければという思いから、1昨年、5年ぶりのアルバムを発表されその最初に入っているのがこの曲です。 アメリカは終戦間際の8月に広島にウラン型の原爆を、長崎には原子力発電などで生じるプルトニウムを使った型の原爆を投下しましたが、事前に模擬原爆を全国で30ヶ所に投下しました。その理由は原爆の効果を確かめるとともに、核爆発の爆風で戦闘機が被害を受けないように急旋回して立ち去る訓練が必要だったからです。模擬原爆は形、重さ、大きさが原爆と全く同じで、ウラン型よりプルトニウム型の方が量産しやすかったので、長崎型で作られたそうです。プルトニウムをTNT火薬に詰め替えただけですが、威力は通常爆弾の20倍。この模擬原爆は7月24日に神戸に4発落とされましたが、このとき和歌山沖から戦闘機が西宮の上空を通って投下し、その一機は、広島に原爆を落としたB29のエノラ・ゲイだったそうです。この時期には西宮も模擬原爆投下の可能性、終戦が遅れていれば神戸や西宮も原爆投下の可能性があったことも番組で語られています。後日私もインターネットで調べてみますと、7月24日には西宮にも模擬原爆が投下をされる寸前で、雲が厚かったために滋賀県大津に落とされていたことが分かりました。この番組では、戦争体験者が少なくなっていく中で、こうした模擬原爆のことも含めてまだまだ埋もれている歴史を掘り起こし、戦争や核兵器の悲惨さや教訓を語り継いで行かなければならない。そして実際の戦争体験者の声も紹介しながら、音声などをパソコンに残して記憶資産として語り伝えていく重要性も強調されていました。 番組の最後では、アメリカが本物の原爆投下の予定地としていた京都を外して長崎に変更したのが7月24日で、さらに西宮市を象徴する木がクスノキであることからも、西宮市が長崎と深くかかわっている。だからこそ、兵庫県下に先駆けて平和非核都市宣言をした西宮市から発信する新たな核兵器廃絶宣言を期待し、戦争も核兵器もない社会を目指したいと結ばれていました。 この間、国連でも核兵器を廃絶するためには具体的な枠組みである核兵器禁止条約を実現しようという努力が行われてきました。現在、国連総会が開催されていますが、国連の軍縮問題を取り扱う第一委員会でこの10月、来年からその具体的な交渉を行うという画期的な決議が採択されました。日本政府は、これまでこうした決議にはアメリカに配慮をして棄権をしてきましたが、今回はアメリカから反対をしろという圧力を受け、驚くべきことに反対の態度をとりました。これは被爆国として恥ずかしいことですし、被爆者からも怒りの声が広がっています。だからこそ、いま自治体側から政府の態度を変える動きを作っていく必要があると思います。 そこで質問です 一点目、今回紹介したラジオ番組を企画、あるいは協力した人たちが行われているような、戦争の体験や資料などを残す活動を行うべきではないか。 二点目、西宮市の市木がクスノキであるという点から、被爆クスノキの種や苗木を市内で植樹をする考えはないか 三点目、今回の政府の態度を受け、まもなく開催される国連本会議において日本政府に核兵器禁止条約交渉開始決議に賛成の態度を取るように要請すべきではないか。 |