ひぐち光冬の一般質問/* --項目挿入-- */?>
2019年12月06日
教員間のハラスメントが起きない学校づくりについて2つ目のテーマに移ります。「教員間のハラスメントが起きない学校づくりについて」です。 神戸の東須磨小学校で、深刻な教員間のいじめ事件がありました。若い教員を自殺寸前まで追い詰めた極めて悪質なパワハラであり、ひとごととして見過ごしてしまってはいけない重大な事案だと思います。私はこの事件について調査するために、神戸の先生方に話を伺いに行き、現地で開催されたシンポジウムにも参加してきました。まず、そこで聞いた話を紹介しつつ、ハラスメントの背景に何があるのかということについて述べたいと思います。 この事件はじゃれ合いから始まったそうですが、長期にわたるからかいや暴力・暴言、所持品の破損、食べ物の強要、子どもたちの面前で暴言を吐かれ、プライバシーを暴露されるなど、エスカレートしていくいじめを誰も止めることができませんでした。この卑劣ないじめを行った加害教員たちが厳正な処分を受けることは当然だと思いますが、最悪なことに、このようなパワハラから教員を守らなければならない教頭や校長・教育委員会でさえ、報告を受けていたにも関わらず、被害教員を積極的に守ろうとしなかったという事実があります。もし管理職や教育委員会が適切に対応していたら防げたかもしれず、この責任も問われなければなりません。 また、“神戸方式”と呼ばれる、校長が自分の学校の人事権を持つという特殊な人事方式がこの事件の背景にあると指摘されています。このことを受け、本市としてはこの事件を“神戸特有の事件”として様子を見ておくということも考えられますが、実際に本市を含めた神戸以外の教員にも話を聞いてみると、「程度の差はあれど、自分の学校でもありうる」と感じている人が多く、ひとごとで済ましてはいけない実態がみえてきました。特に、私が話を聞いた若い女性教員はこの事件を受けて、「明日は我が身だと思った」と言いました。私はてっきり“自分もいつ被害者になるかわからない”という意味で言ったのかと思いましたが、よくよく話を聞いてみると、「いつ加害者になってもおかしくないと思っている」とのことでした。それだけ日々の業務に追われ、余裕がなく、常にイライラし、ストレスのはけ口としていつ後輩などに当たってしまうかわからない状態にあるとのことでした。これが今の先生方の実態なのかとショックを受けました。 なぜこのようなことになってしまっているのか?先生のゆとりを奪ってしまっているものは何なのか?様々な原因が考えられますが、とりわけ2006年の教育基本法改正を契機とし、全国一斉学力テストが行われるようになり、また教員評価システムが全国的に行われるなど、“競争と管理”の教育が強まったことが大きな原因のひとつではないかと私が話を伺った先生方は指摘しています。この頃から教員は、子どもたちの顔をみて教育をするのではなく、管理職の顔色を窺いながら教育をするようになってしまったのではないか。常に成果を求められ、成果を出せなければ排除されていってしまう。まさに、ハラスメントが起きやすい構造が今の教育現場には潜在的に存在しているのだと、調査を通じ痛感しました。 したがって、この仕組みを変えていかない限りはいつまでもハラスメントはなくならず、いくら規律を強化し厳罰化したところで効果は薄いと私は考えます。また、このような仕組みの中で、職員会議も形骸化していき、上からの伝達のみで終わってしまい、教員たちが本音で語れる場や弱音を吐ける場もなくなってきていると聞いています。 これらのことを指摘したうえで、では一体西宮では何ができるのか?何をしなければならないのか?質問していきたいと思います。
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