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定例議会

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2.新入職員の宣誓書について

 「宣誓書 私は、ここに主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、かつ、擁護することを固く誓います。私は地方自治の本旨を体するとともに公務を民主的かつ能率的に運営すべき債務を深く自覚し、全体の奉仕者として、誠実かつ公正に職務を執行することを固く誓います。」
 以上読み上げました宣誓書はいま在職されている一般職全員が、採用されたその日に署名のうえ提出されています。教育職、消防職、水道局の方は少し異なる文言が入っていますが、同じ趣旨の宣誓書を提出されています。
 当局として、新入職員にこの宣誓書に署名を求め、読み上げさせる根拠はどこにあるかというと、地方公務員法第31条に「職員は、条例の定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない」との規定があり、その規定により「西宮市職員の服務の宣誓に関する条例」を定めています。この条例は1951年に制定されました。
 条例第2条は「新たに職員となったものは、任命権者又は任命権者の定める上級の公務員の面前において、別記様式による宣誓書に署名してからでなければ、その職務をおこなってはならない」と定めています。
 別記様式としては、一般職員、教育公務員、消防職員、企業職員の4種類の宣誓文を規定しています。
 非常に格調高いまさに非のうちどころのない立派な内容の文言の宣誓書です。私は市職員の多くのみなさんが、この宣誓書で誓った高邁な精神で日々仕事に取り組まれていると思います。またこの宣誓書の真髄を我が物としてひたすら市民のために仕事に熱中されているみなさんに敬意を表するものです。
 しかし、中には宣誓書に署名したのは昔のことでその中身はちょっと忘れたという方もおられるかもしれない。また、職員にいろいろ問題提起をされている方の中には職員の本来の職務のあり方について誤解されている方もあるやに見受けられますので、この際あえて職員のバックボーンとも言うべき職務の処し方を表現した新入職員の宣誓書をどのように理解するかについて意見を述べ、当局の見解もお聞きしたいと思います。

 この宣誓文はまず、日本国憲法のもとにおける市職員の仕事の民主的本質とあり方を簡潔にしめしています。
 まず、国民主権が確認されています。主権とは国家の最高意思決定権のことで、国民主権を確認することは、日本国憲法のもとですべての公務員が仕事をはじめるにあたっての第一歩といえます。そういう国民主権の原則を含む「日本国憲法の尊重と擁護」です。これは憲法第99条の「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し養護する義務を負う」という規定に基づいています。もとより憲法は国民すべてが尊重し守らなければならないものですが、特に公務員に「尊重と擁護」を義務付けた理由は二つあります。
一つは法治主義の原則にかかわって、国家運営は権力の担い手である公務員の気ままな意思によって動かされてはならない。憲法は国の基本法であり最高法規ですから、これの尊重と擁護を義務付けることによって、公務員の権限、職務のあり方を拘束し、国民の自由や権利を保障しようとするものです。
 二つ目は公務員の仕事は、公的権力、権限を行使しますから、公務員による憲法違反や憲法の軽視は、憲法とその体制を危うくする重大な意味をもっているということです。

 宣誓文の後段は市職員に「地方自治の本旨を体する」ことを求めています。
 地方自治の本旨は、憲法第92条に「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」と規定されています。
 地方自治は、国民主権を地域社会において実現しようとするもので、二つの原則から成り立っています。その一つは、住民自治の原則、つまり住民が主人公という立場を貫くことであり、各自治体は条例、規則、予算などすべてにおいて、その自治体の構成員である住民の意思に基づき、そしてその参会によって決定すると言う原則。
 二つ目は、団体自治の原則、つまり、市の場合であれば国や県などに対して自治団体としての自主性を貫くことであり、各自治体は自らの方針を自主的に立て、民主的に執行するという原則であります。
 憲法が規定する「地方自治の本旨」とは、この二つの原則のことであり、宣誓文は市職員ひとり一人がその担い手であることを求めているのです。
 しかも、宣誓文では、地方自治の本旨を理解して(観念の中での理解)と言わずに「体して(理解のうえ、身をもって実現する)」と表現していることに注目してください。日々の仕事を通じて具現していただかなくてはなりません。

 次の「民主的かつ能率的」ということですが、民主的、能率的の文言は、地方自治法第1条にも含まれておりまして、これは自治体運営の基本であります。
 民主的ということについて、二つの意味がこめられています。
 一つは、住民参加により、住民の意思、要求や願いにもとづきながら公務を進めるということで、これは先の「住民自治の原則の実現」とほぼ同じことです。
 二つ目は、政治や行政の本来の目的にかかわることです。
 憲法前文には「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と記されています。
 また第13条は「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求にたいする国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政のうえで、最大の尊重を必要とする」と規定されています。
 ここでいう「国政」に自治体の政治、行政が含まれているのです。
 日本国憲法の下での政治、行政の目的は「国民が権利を受取る」ためであり、「生命、自由、幸福追求に対する国民の権利」を実現することにあるのです。そのためにこそ主権者国民は、政府や地方自治体に必要として税金を納めているのです。
 もし、この目的が実現できなければ政府や自治体は、国民、市民にとって無意味であり、したがって公務員もまた無用な存在になるでしょう。
 行政をすすめるにあたって、民主的にと口をすっぱくしていわれるこのところを、しっかりおさえていただきたいと思います。

 「能率的に」というのは、住民の要求を可能な限り早く実現するために必要な政策、技能、実務の能力、組織態勢、必要な財政を整えることです。税金を有効に用いるために、無駄をはぶき、能率的な行政追求するのは当然のことですが、あくまでも住民の立場からみた無駄かどうかを見定めることが求められます。
 しかし、こんにち「能率的」と言うことを口実に、職員の削減や、安易な民間委託化をすすめ、行政施策の市場化、商品化を広げようとの傾向が強まり、それを行政におし被せる動きもあります。これは本来の能率的な行政とは全く別のもので市職員の追及すべき道ではないことをわきまえて欲しいと思います。
 さて、宣誓文の「全体の奉仕者」の意味ですが、憲法第15条第2項の「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」との規定に基づいています。
 この規定は、日本国憲法のもとでの公務員が主権者である国民全体に奉仕するものであり、そのことによって、国民主権と国民生活を守る位置にあることをしめしています。市職員としてはすべての住民にわけへだてなく奉仕するということです。
 この宣誓書は、奉仕の主人公である西宮市民に対する誓いであることを、あらためて確認していただきたいと思います。
 最後の「誠実かつ公正に職務を執行することを固く誓う」という部分でありますが、誠実というのは受身ではなく、憲法を実現するために誠心誠意、積極的に働くという意味であり、公正にというのは、私心なく、法や条例に基づいて仕事をするということです。
 私は本市の職員のみなさんが基本的にはこの宣誓書の立場で仕事に臨んでおられると考えます。たとえば本市職員の不祥事というような問題は、全く例外を除いて皆無だということをみてもそれがいえると思います。
 今後、職員のみなさんが自身で宣誓された誓いの意味を、日々反芻し、それを基準に仕事をすすめていただきたいこと。この宣誓の立場で仕事をすれば、ただ賃金を稼ぐための労働ではなく、生きがいを感じる労働となることも間違いありません。
 特に幹部職員のみなさんが、率先垂範していただき、若い職員が公務労働に生きがいを感ずるまでに成長するよう助言もして欲しいと要望したいと思います。
 また市民のみなさまも、職員の本来の任務を理解していただいて、期待していただくと同時に、間違いは指摘しながら、本来の任務が果たせる職場環境の現出のため力をそそいでいただきたいと思います。
 個々の職員の努力だけでなく、行政全体として、この宣誓書の真髄である住民奉仕の姿勢を確立されるよう、不断の努力を期待するものです。

  1. まず、市長にお伺いします。先ほど来の私の質問展開について市長はどのように受け止められましたか。見解を明らかにしてください。
  2. 職員採用にあたって、宣誓書に署名を求めるその主意を、どのように説明されていますか。
  3. 職員となった後も、この宣誓の趣旨についてより深い理解を求めて、研修をされていると思うが、その実態はどのようなものですか。
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